まぁその、いろいろと思うところありまして

2011.06.14 Tuesday

 お休みさせていただきますという記事から、あれ?(o゚ェ゚o) と気付けば2週間強。。
時間の経つのってホンとに早いです

おヒマを頂戴している間も、方々から「なんかあったの?」とか「どーかされたんですか?」といったご連絡をいただき、大変御迷惑をおかけしここにあらためましてお騒がせ(?)してお詫び申し上げます

と、
まぁブログ休憩(休眠というほどの期間でもなかったですもんね)に至った経緯ってのがこれまた複雑混路でして、仕事のコト、プライベートのコトいろいろと思うところありまして、これはもう惰性でだらだらとつぶやきに逃げるのではなく、一度しっかり自分自身リセットしてからブログに戻ろうと思いたったのが斬鉄剣の切れ味よりザックリ申し上げますと、プライベートな事についてはご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、いよいよ本気で覚悟を決めねばならない事があり、詳報は後日こっそりご報告する機会があるかもしれません

で、仕事の方でして、
とあるお客様との取引でちょこっとばかりショックな事がありましてですね(誰だ?とかは詮索無用)、
相手方にばかり非があるのではなく、自分にも多分に誤解を招く発言・行動があったため、けっこう自分自身に嫌気がさしてしまい悶々としていたころへ上記のプライベート問題が、プラスしてそれ以外にいろーんな仕事に関してかなりナイーヴな壁にちょこちょこぶつかったりと

商売ってホンとに難しいなぁと思いつつ、一回これと決めた自分の商法についての方針やら理念やらを一度振り返って精査すべきタイミングがそろそろ訪れたな といった感じです





わかってください

2011.05.26 Thursday

 いつも拙ブログをご講読いただきありがとうございます

ココ最近ちょっといろんな事が立て込んでおり、満足に記事も書けない状態となっております

誠に勝手ながら、しばらくブログはオヤスミさせていただきます <(_ _)>



日進月歩

2011.05.16 Monday

 先週の土曜、5月14日でもって当店は満50周年を迎えることができました

豊明村から豊明町へ町制移行してから5年後、1970年代初頭に市制施行されてからも今日まで、豊明の歴史に寄り添うように当地にて父母が起業しこのたび無事に半世紀もの時を刻むことができました

とはいえ、ボク自身はそんな歴史の一部しか承知しておらず、親やその周りの方々からうかがうのが当店における歴史学習の機会となります


そもそも、当店は父(故人)が母(以下 オクサンもしくはババァ)と結婚するにあたって、これからは花屋だ!と一念発起して起業したのが始まりだったそうです(もっと詳細があるんでしょが、この際割愛(笑))

ただ、創業当時は花屋だけで食っていけるだけのしのぎなどあろうはずもなく、幸いにして住まいが田舎にあり、地所に比較的恵まれていたこともあってエニシダやパンジーなどを生産し、市場へ卸したり、それこそ大原の花女でもありませんがリヤカーに花木を積み、ひき売りをしていたそうです

つまり、小売店としてのみで半世紀という時間を積み上げたのではなく、出発点には生産者としての側面も持ち合わせていたということ

ババァの朦朧とした記憶を掘り起こすことでしか確認できない史実ですが、今自分自身が店頭で取り扱う商品について、産地表示や仕入れに際しての品種や産地へのこだわりという点に活路を見出そうとしているさまは、商売という部分でのDNAが確実にボク自身に脈打つものなのでは?と不可思議な因果すら感じさせます

もっとも、当時卸していた旧福●園の連中だってそんなことは知りもしないでしょうし、現在港市場の上役を務めてらっしゃる方々でも知らないことかもしれません(笑)


閑話休題、
そうした歴史背景の中、1961年というと終戦から20年弱の時がたち、経済も高度成長期の入り口にさしかかった頃

無謀にも母の日に産声をあげたわけですが、その当時店頭にはたった2種類の品種しかなかったそうです

赤と白

白の品種名はわかりませんが、赤は【コーラル】といってシム系カーネが登場するまでは完全に国内流通の主流であり、日本初の国産品種でもありました

ボクの姉(学年6歳差)もけっこう記憶しており、今年何十種類と並んでいるカーネーションを眺めながら、「やっぱりアタシはコーラルが好きだなぁ」と言います

昭和60年頃くらいまでは結構市場での流通も比較的あったんですが、前述のシム系カーネ登場に際し、入れ替わるように生産量は下がっていったみたいです

当時(開店当時)はどんな取り合わせでどんなデザインだったのさ?とババァに聞いてみると、
苦笑いしながら 「デザインなんて概念すらなかったわよ(笑)」といいます

その当時で、当店での店頭小売価格がコーラルで80円だったそうな

今の物価におきかえると、当時では相当な高額商品だったわけですが、赤はお母さんに白は亡くなったお母さんに。。というキャッチフレーズが戦後の爪痕が残る社会にあり、飛ぶように売れたのを記憶しているそうです

スパイラル もなければ、ラウンドだとかテラコロニアルなんてテクニックもなし
出来ないとかじゃない 
売るほうも買うほうもまったくもって知らないし頓着しない時代(笑)

ある種いい時代だよなぁと思ったりもしますが、それもまた時の流れと当時を知る者のみの美しいノスタルジーとしておくべきであり、比較対象にはならないかもしれません


次の年にピンクやらオレンジやらが入荷して(開店時にもあったかもしれないけど、高くて仕入れられなかったのかも)、黄色もたま〜〜にあったらしいですけど、そりゃもう高嶺の花だったそうです

当然のことですが、今みたいに葉物等も充実していたワケもなく、とり合わせるグリーンは主にアスパラだったらしい

アスパラ(ペラもしくはナナス)と赤カーネのみか
意外とやりようによっちゃモダンなものが出来そうだわねぇと想像も膨らみますが、当時の豊明にアバンギャルドなものが受け入れられる土壌があったとは絶対に思えないし(笑)


今年出来る限りの品種を揃えはしましたが、この話を母の日終わりの先週土曜に初めて聞き、しまったなんてこった。。だったら意地でもコーラルを入荷したかった。。と思っても後の祭り

しかし、当店のルーツたる品種をこの目で絶対に確かめたい。。!と思ったところで、もう本当に生産されてらっしゃる方も少なくなってしまいました

当地愛知県は全国でも有数のカーネーション産地でもありますが、どちらかといえばシム系以降に隆盛を誇った感もあり、幡豆の産地をあたってもヒットしそうな気配は皆無

仕入れチャンネルを駆使したところ、

ありました

東京某市場に出荷されている千葉の某生産者さんの物件を発見

コーラル という品種そのものが、横浜の磯子区で昭和15年に産声をあげた品種であるという史実もかなり驚愕ではあったんですが、であれば関東一円の生産地であればひょっとしたらまだ作ってらっしゃる方がいらっしゃるかもしれない というヤマが的中しました

明日、待望の(?)コーラルと対面できます

どうでもいい話かもですが、ウチが開業した1961年って横浜のマリンタワーが開業した年

当店の開店を彩った品種も横浜産であり、当時のハマのシンボルと同級生というのにも、なにがしか因果を感ぜずにいられません

ま、こじつけっちゃーそうなんですが、繋がってみると意外と愉快だったりします(笑)


派手な式典やなにかを用意しているワケでもありませんが、
秋の恒例イベントではキッチリ今から準備に余念がありません

ウチの価値、ウチにしかできない事
それを着実に発信・提供しつづけることこそ、地元で商売をする意味であり、意義であり、
当店の存在理由だと思っています

食べ放題

2011.04.18 Monday

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大騒動だった東海ブロック予選の一週間後、

これまた大騒動だったそうな北海道ブロック予選(厳密には事前会議)の最中、

被災地では復旧・復興にむけ、それぞれがそれぞれの思いを胸に着実に一歩ずつ踏み出しているなか、

我ら家族は家内の念願のイチゴ狩りへ出かけました


家内は念願の初イチゴ狩り
倅は今現在この世で最も好きな食物がおそらくイチゴ(二位は海苔巻あられ)
ボクは記憶を遡るのが難しいほど久々な、そんな気まぐれなイチゴ狩り

自宅から車を走らせること数十分で到着したイチゴ園は、半島の中ほどにある静かで穏やかな田園風景の中にありました

ハウスの中はイチゴの瑞々しい香りと一粒でも元を取ろうとばかりに、みなさん口いっぱいに頬張ってらっしゃいます(笑)

頭をよぎるのは、今このタイミングで大地震がきたら。。
津波が襲ってきたら。。

愛知県は一部を除いて内海なので、もしこの間のような形できたら今自分がいる場所あたりはおそらくひとたまりもない
しかし、そればかり考えていてはそれこそ気が先に病んでしまいそう

ひたすら今目の前の幸福にひたる
ひたすら倅と家内が口いっぱいにイチゴを頬張るのを目に胸に焼き付ける
ひたすら無駄な音の少ない、おだやかな陽射しがあたる風景に身を任せる

命の洗濯 とまではいきませんが、心をしっかりリフレッシュする
それが、できない・叶わない方がたくさんいる
当たり前の慈しみを、甘い果実にみたて精一杯頬張る


2週間後は早いものでもう母の日です

いろんな意味で、今年の母の日は間違いなく記憶に残る いや、間違いなく刻まれる

そんな気がしてなりません

入園式

2011.04.11 Monday

 


お陰さまをもちまして、倅もついに社会に旅立つことになりました

いろいろと不安を抱えながらの出発となりますが、いろんな方々の助けを賜わりながら、園・保護者(ボクと家内)・療育施設と三位一体となり頑張っていこうと思ってます


倅が入園した幼稚園は、実はボクの母校(母園?)でもあり、さすがにボクが幼稚園児だった頃を知る園職員はほとんどいらっしゃいませんが、学園そのものに少なからず愛情は抱いております

倅が今後どういった道程を経て行くのか皆目見当など立つはずもありません

しかしよっぽどの事がない限り、ボクが辿った道を踏み進むとは到底考えられないし(笑)、また外連味なく辿って欲しいとも思わない
それに、倅が成人するころの我が国っていったいどうなってしまってるんだろう?と一瞬考えたりもしますが、そうした未来への展望すら、ボクの目線と倅世代がこれから直面していく肌感覚とでは当然相違するはずです

金八先生よろしく、木の上に立って子供を見る という親という漢字の解釈の意図を半数しつつ、
はれてボクの後輩となった倅とその同級生の門出に、心静かに、しかし未来を担っていく彼らのためにいつになく真剣に活け込みました


それにしても疲れました。。
もーなんていうか、仕事疲れのそれとはまったく違う気の使い方 (T▽T)

この先はもっと長い

でも、倅が生まれてから今日までがそうであったように、この先もまたあっという間なのかもしれません